10日間の「ヴィパッサナー瞑想」からの学びと気づき

ヴィパッサナー瞑想10日間コースを終えた感想・学び・気づき(c)Megumi Mitani Column
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こんにちは!フルタイムトラベラー、三谷めぐみ (@meg_intheworld)です。

現在地:タイ🇹🇭バンコク
ここまで7回に渡って、ネパールでの「ヴィパッサナー瞑想」10日間コースの体験をシェアしてきました。
「体験レポート」というよりは、個人的な日記を公の場でシェアしてしまった感もありますが(笑)、興味がある方は読んでみてください。
10日間どんなふうに過ごしたのか、どんな変化があったのか、何を感じたのか事細かに書いています。

この記事では、振り返りとして「ヴィパッサナー瞑想コース(10日間)」に参加した感想、12日間で学んだこと、気づいたことをシェアします。

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ヴィパッサナー瞑想「10日間コース」に参加した感想

親しい友人に「今ネパールにいるんだけど、10日間メディテーションしてくる」と話したら

「えー!悟りが開けそう!」
「人生変わりそう!」
「どんな風に変わるんだろう!楽しみだね!」

と言われた。

なので、12日間が終わったあと「どうだった??」と聞かれて少し困った。

なぜなら、私の正直な感想は

いくつかの新たな気づきや学びはあったけど、自分の価値観や人生観が変わるような体験ではなかった。どちらかというと、自分の価値観や自分自身を再認識した感じ。「うん、やっぱり私はこうだよね」と。

人によっては、過去の出来事やトラウマを思い出したり、様々な感情が出てきたり、涙が止まらなくなるらしいのだけど、私はそういったこともなく。

不思議な体験としては、深いメディテーションに入ると、時間の感覚が無くなったり、自分(のマインド)がどこか別の場所にいるな、と感じたことくらい。ただ、これはリトリートに参加する前から時々あったので、新たな体験ではなかった。

それでも、この10日間(実際は12日間+1日)は、とても意義のあるものだったし、貴重な時間となった。

そこで、この12日間で学んだこと、気づいたことを、備忘録として、ここにまとめてみる。

ヴィパッサナー瞑想の12日間で学んだこと

沈黙は尊い

私にとって12日間での最大の学びは、コレ。

Vipassanaのテクニックや効果ではなく、「沈黙は尊いものである」ということ。

音楽やお祭りなどのイベントは別として、日常生活はできるだけ平和に、静かに暮らしたいタイプの私にとって、「Noble Silence(聖なる沈黙)」を守ることは、難しいことではなかった。

むしろ、リラックスできて、いつも通り自然体でいることができた。

コース終了後、世界各地から来ている他の参加者やServer(奉仕者)から

「あなたはいつも落ち着いて、平和に過ごしていたね。」
「はじめてのなの!?慣れているように見えたからOld studentかと思っていた。」
「ピースフルで、あたたかく、ポジティブな存在。」
「あなたのこと好き。あなたは良い瞑想者。」

とあたたかい言葉をかけてもらえたのも、「静寂」や「沈黙」のおかげだと思う。

現実社会では、望んでいなくても勝手に耳に入ってくる「雑音」に翻弄され、疲れたりするけれど、それがほとんど無かったので、自分のことに集中できて、幸せだと感じていた。

「沈黙は尊い」と思いながら、今この文章を静かなAirbnbで書いている。


痛みはツールになり得る

Vipassanaの技術的な面で「本当だ!」と思ったのが、DAY 5の体験レポートに書いたAssistant Teacherからの助言「Pain can be a tool(痛みはツールになり得る)」だ。

「痛み」は「ずっと痛いもの」で、「なかなか消えない」と思っていたけど、そうではない、ということを学んだ。

「痛い」という感覚は強烈なので、その一部だけに意識が向かいているから、「ずっと痛い」と感じるだけ。痛くない部分のことに意識を向ければ、いつの間にか「痛み」は消えることを体感した。

これが、膝痛などだけでなく、偏頭痛などの痛みにも効くのか、いつか試してみたい。


視点を変える(ネガティブなものに捉われない)

身体的な「痛み」と同じように、心理的にも「痛み」や「苦悩」があると、状況を冷静に見ることができない。ということに、自分自身や他者を観察して気づいた。

DAY 7で、私は隣に座っている「強い怒りのエネルギーを発散し、痛みを抱える人」だけに意識が向いていた。しかし、ルームメイトが私を気にかけてくれていたんだと知ったことで「あぁ。私の周りには5人も良いエネルギーを持った人がいたんだ」と、気づくことができた。

DAY6では、他の生徒が足の「痛み」に固執し、その痛みを理解されない葛藤が心理的な「痛み」となり、感情として現れるのを目撃した。

他にも、心の痛みを抱える人が、事実ではないことを信じ込んで、自らを苦しめている姿を何度も見た。

「痛み」や「苦悩」は強いものなので、意識を奪われがちだけど、達観して冷静にその状況を見ると、その「痛み」は、意外とスイカの種みたいなものだったりする。


ルーティーンの効果

毎朝4時に起きて、1日約10時間メディテーションし、夜9時半に消灯。

これを10日間繰り返す。

コースに参加する前、「朝4時なんて起きれるかな?夜型の私は、朝5時まで起きていることだってあるのに。」と思っていた。

ところが。毎朝4時に起きることができた。

脳は眠っていても、4時になれば部屋の電気をつけ、15分後にはベッドを出て、4時半にはホールに座りメディテーションを始めていた。

最初の2日ほどは「次は何時からどこで何をするんだっけ?」と思ったこともあったけど、DAY 3にもなると、身体が1日のスケジュールを覚えるので、考えずとも身体が動く。

「1日に10時間のメディテーション」も、ルーティーンになると、それが当たり前になっていた。

現実社会に戻った今、「1日10時間」のメディテーションをすることは不可能に近いけど、朝に1時間、夜に30分のメディテーションは続けている。


人間は「対話」が必要

最大の学びとして「沈黙は尊い」を挙げたけれど、人間は「対話」が必要だということを最後に付け加えたい。

沈黙の間、目を合わせなくても「阿吽の呼吸」や「気配」で相手と無言のコミュニケーションを取ることはできるけど、DAY 10の体験レポートに書いたとおり、「自分が見ているその人」と、「本当のその人」は、おそらく違う。

外から見たら「上手くやっている」「何も問題なくこなしている」「感情の波もなく落ち着いている」ように見えても、実際はそうではなかったりする。

「元気そうだから大丈夫だ」
「彼(彼女)ならきっと大丈夫だ」
「あの人は苦労もせず、楽に生きてていいなぁ」
というのは、思い込みかもしれない。

自分の周りにいる人、大切な友人や家族とは、会話だけでなく「対話」をしてみると、本当の彼らの考え・状態を理解できるかもしれない。

自分に関する気づき(自分メモ)

ここからは、コース終了後に書き留めた、完全なる自分メモを公開する。

なぜそんな個人的なものを公開するかというと「3ヶ月後、半年後、1年後に、同じように感じなくなっているかもしれない」と思い始めているから。

今この記事を書いているのは、コースを終了してから2週間後、バンコクのAirbnbで書いている。

まだ2週間しか経っていないし、メディテーションも短時間とはいえ継続しているし、1人なので自然にNoble Silence状態は続いている。会話といえば、買い物をする時くらいだけど、タイ語が話せない(英語も通じにくい)ので、挨拶しかしてない。

それでも、こうしてblog記事を書いたり、オンラインで友人とコミュニケーション取ったり、仕事をしたり、その合間にSNSを見ていると、あの「毎日心穏やかだった日々」が遠い記憶のように感じることがある。

だから、後日、その変化を記事にして、皆さんにもサンプルとして見てもらったら面白いかな、と考えた。

以下が、10日間(12日間)のコースを終えたばかりの自分に対する気づき。


あるもので満足するし、足りていると感じる

これは、2015年にノマドになって世界各地で暮らすようになってから持っている価値観でもあるけれど。

他の参加者が「コーヒーを飲めなかったのは本当に辛かった!」と言っているのを聞いて、「確かにコーヒー無かったな。」と思った。

時には自分で豆を手焙煎し毎朝手動ミルで豆を挽いてコーヒーを淹れ世界各地のロースタリーやカフェでコーヒーを飲み歩くほどのコーヒー好きな私。

しかしこの12日間、一度も「コーヒーを飲みたい」と思わなかったし、「コーヒー」のことなんて考えもしなかった。

ネパールは、コーヒーよりもティーが主流なので、朝と夕方に提供されるミルクティーがコーヒー代わりになったからかもしれない。食後にゆっくりと飲むミルクティーは、とても美味しかった。

「あるもので満足する」と、どこでも生きていける気がする。


「欲」や「執着」がほとんどない

これは昔から自覚があったけれど。
12日間、他人と過ごし、彼女たちを観察していて、改めて気づいた。

コーヒーの例もそうだけど、「〇〇が欲しい」「〇〇がない」「自分の愛用品がないと困る」「絶対に〇〇を手に入れたい」という思いが、私にはほとんどない。

もちろん、ある程度はある。
例えば、1日目の朝にOld Studentだけ食べることが許されるフルーツがテーブルに並んでいた時は、「(食べ物の中で1番大好きな)フルーツが目の前にあるのに食べられないなんて。涙」と思ったけれど、「まぁルールだから仕方ない」とすぐに切り替えた。そして、夕方にNew Studentにもフルーツが提供されると知った時は、心の中で飛び跳ねるくらい喜んだ。笑

一方、一部の生徒たちは、日々Serverに様々なものを要求したり、毎日ルールを無視して朝・夕にフルーツを食べ、お代わりまでしていた。他の生徒に注意されても、彼女は私の隣で朝晩フルーツを食べ続けていた。

その様子を見て、彼女たちは「自分が欲しいものは手に入れたい」という思いが強く、実際にそれを手にいれる人たちなんだろうな、と思った。

これは、Vipassana Centerという小さな枠組みや、物資的な意味だけではなく、日常生活や人間関係でもきっとそうなんだろうな、と思った。

「欲が無い」のは「つまらない」「おもしろくない」と考える人もいるだろうけど、今の私はそれで良い気がしている。


個(ひとり)でいることが自然で心地よい

DAY 2のランチ後に庭を散歩している時にふと「誰とも話せない=孤独を感じるのかなと思っていたけど、全然そんなことないな」と思った。

もしかしたら私は「個(ひとり)でいることが自然で心地よい」のかもしれない、と思った。

「あの人と遊びたいな」とか「会ってあの話を聞きたいな」と思うことはあっても、「あの人がいないと退屈(寂しい)」と思ったことがないな、と気づいた。

ノマドとして暮らし始めて9年目になるので、もはや友達や家族に会えないことが「普通」になってしまった、というのもあるけれど。

Vipassana Centerにいる間も、自分の好きな人たち(友人や家族)の顔が浮かぶことがあったけど、「きっと彼らは彼らで楽しく生きているんだろうな」と思うと、それで満たされた気持ちになっていた。

そして「沈黙」の時間を過ごしたからこそ、再び友人たちとの対話をより楽しめるような気がしている。


意志が強い

これは10日間の「Noble Silence(声なる沈黙)」が解かれた日に、ルームメイトから言われて気づいたこと。

ルームメイトと隣の部屋の子と3人で「1時間も動かずに座っているのは辛いよね。」という話から、「Megumiはできているよね。あなたは”strong will”があるから。」と言われて「なるほど」と思った。

確かに私はVipassanaにコミットしていた。

そして、過去を振り返ってみても「確かにそうだな」と思うことはいくつもある。大学卒業時に安定した企業の内定を辞退して、夢だった音楽業界に入り込んだり、会社員を辞めて今の暮らしを始めたり。

「自分がやる」と決めたことは、実行しているな、と。

自分ではあまり意識したことがなかったけど、気づかせてくれたルームメイトに感謝している。


自分に集中し、自分を信じていた

これも他の参加者と話している中で気がついた。

「他の人はできているのに、自分はできないからイライラした。」
「同じNew Studentなのに、なんであの人には出来て自分にはできないんだろう、って苦しかった。

と言っている人たちがいた。

私もDAY 3で最大のチャレンジが訪れた時や、DAY 4での膝の痛みDAY 7の他者の心の痛みに苦しむことはあったけど、「他者と自分の上達具合を比較する」ということは無かった。

おそらく、もともと「人は人、自分は自分」という考えを持っているのと、Vipassanaは自分に集中することが大事だと思ったから。

私の場合、何事も「ゾーン」に入らないと集中出来ないので、Vipassanaにコミットするために、自分に集中すると決めていた。

そして「ツライ」「苦しい」と思うことがあっても、DAY 3の体験レポートにも書いたとおり、「これはチャレンジなのかもしれない。そうであれば、私は乗り越えられるはず。」と自分を信じていた。

10日間の静寂の中、自分しか向き合う人も、話す人も、相談できる人もいないし、自分しか自分を励ます人も、背中を押す人もいなかったから。


3ヶ月後、半年後、1年後、どのように変わっているのか、少し怖くもあり、楽しみでもある。

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この記事を書いた人

自然と芸術を愛する旅人。2015年より世界各地で家を借りながら暮らすデジタルノマド。40ヶ国。

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