「10日間のヴィパッサナー瞑想」から半年経って気づいた3つのこと

ヴィパッサナー瞑想10日間コース:半年後に気づいた3つのこと・振り返り(c)Megumi Mitani Column
スポンサーリンク

こんにちは!フルタイムトラベラー、三谷めぐみ (@meg_intheworld)です。

4月にネパールのルンビニで「ヴィパッサナー瞑想 10日間コース」に参加してから半年が経過した。

5月にタイ・バンコクのコンドミニアムに篭ってこの記事を書いた時は、「3ヶ月後」つまり8月に振り返り記事を書いて公開する予定だった。

スケジュールにも入れていたので、8月に書き始めてはいたものの、仕事が急激に忙しくなり、結局「下書き」保存のまま、11月になった。

「このままだと公開せずに終わる」と思ったので、ここまで6ヶ月の振り返りと、半年経って気づいたこと3つをシェアすることにした。

スポンサーリンク

10日間コース終了から半年:月ごとの変化・振り返り

まずは、時系列で、メディテーションや自分の価値観・生活がどのように変化していったかを振り返る。

4月中旬:10日間コースに参加(14日間ネパールのルンビニに滞在)

5月前半:バンコクのコンドミニアムに篭ってVipassanaの記事を13本執筆。毎朝40分〜1時間のメディテーションで1日を開始し、寝る前に1時間のメディテーションをする。

5月後半:バンコクで別のコンドミニアムに移動した日、「あるもので満足するし、足りていると感じる」という価値観が崩れかけた。1つ前のAirbnbはホストも親切で、必要なものは全て揃っていて、立地もよかったけれど、移動したAirbnbには「ハンドソープやキッチンツールもなく、シャトルサービスもないんだ..」と「ないもの」が気になった。先ほどまで滞在していたAirbnbと比較していた。「比較」は「エゴ」と同じくらい邪魔なもの。そう思って翌日からは気持ちを切り替えて2週間過ごしたが、メディテーションの時間も30分が限界になっていった。「自分が身を置く環境」の大切さを改めて感じた。

6月:日本に帰国。毎日朝と夜に、自分が心地よいと感じるまでメディテーションをすると、だいたい25〜45分経っている。ただ、ネパールの時にように「本当に無になる=anichaに入る」ことは日常生活ではできないのかもしれないと思い始めた。

7月:仕事が忙しくなり、1日1回15分程度しかできない日もあった。それでも朝夜1日2回、20〜30分できた時のスッキリ感が心地よく、「忙しくても時間を作ろう」と思った。

8月:1日10時間以上、集中して仕事をする日々が続いた。仕事の合間に、食事を作って、天然酵母パンを仕込んで、洗濯や掃除をして、身体を動かして、友人とコミュニケーションを取る。「生きるって忙しいな」と思った。だからこそ、メディテーションに深く入れた時は、その時間と空間を十分に感じることができた。そして、その時間を確保できた事に感謝した。

9月:意識的に「休息」と「良い睡眠」を取ることが大事だと体感。2日連続でメディテーションをしなかったら、脳に不要なものが溜まっているような感覚があった。それ以外は、毎日20〜30分メディテーションをした。ときどき経験する、不思議な空間に行くこともあった。

10月:ルンビニで同じ10日間コースに参加していた友人と話した。彼女とは、住んでいる国も違うし、時差も8時間あるけど、同じ地球にいて、同じ時間をシェアしているんだなと思うと、ありがたく感じた。気候も涼しくなってきたので、外ではなく、夜寝る前に家の中でメディテーションすることが増えた。少しでも自然を感じたくて、シダーウッドとラベンダーをブレンドして使ったりしている。

半年経って気づいた3つのこと

ヴィパッサナー瞑想10日間コース:半年後に気づいた3つのこと・振り返り(c)Megumi Mitani

1. 日常生活で「深いリラックス」を体感する難しさ

5月に公開した記事でも書いた通り、Vipassana10日間コースの間、私はVipassana meditationにコミットしていた。

何もかもが快適で便利な日本で、当時のことを振り返ると、「よく気温45℃の中、毎日熱風、強い日差しにさらされた簡易的な宿泊施設で寝泊まりし、1日10時間も瞑想できていたな。」と思う。

エアコンが無くて寝苦しくても、蚊に悩まされても、毎朝4時起きでも、「いつも通り自然体でいることができてリラックスしていた。」「自分のことに集中できて、幸せだと感じていた。」なんて。

ちょっと自分でも信じられないというか、不思議に思う。

普通に考えたら、何もかも揃っていて暮らし慣れた東京にいる方が圧倒的に楽だし、言葉も通じるし、居心地も良いはずだし、リラックスできるはず。

でも、実際はそうじゃない。

日常生活は、忙しく、雑音だらけで、小さなストレス要因で溢れている。

だから、私たち人間は、自分らしく自然体でいるために、自分らしさを保つために、リラックスする時間を設ける必要があるのだろう。

私の場合、自然の中に身を置くことが大切なので、仕事の後に軽いランニングをして東京湾を前にメディテーションをしたり、近場の山にハイキングに行ったり、音楽を聴きながら青山通りや皇居の周りをただひたすら歩いたりすることで自分を保っている。

そんな風にリラックスして、また自然体の自分を取り戻すことで、自分自身、そして友人たちとも楽しく過ごすことができる。

しかし時には、自分を取り戻した5分後に、新たな雑音やストレスにさらされることもある。

きっと、これが「日常生活」なんだろう。

ルンビニでの14日間が、いかに「非日常」だったのかと、時間が経てば経つほど思う。

2. 沈黙の時間は「作る」もの

Vipassanaの10日間は「Noble Silence = 聖なる沈黙」があったけれど、私たちの「日常」には「沈黙」は存在しない。

自ら積極的に「沈黙の時間」を作らない限り、「沈黙」や「静寂」は手に入らないということに、6月に日本に戻ってきてすぐに気づいた。

朝起きてから夜寝るまで、何かしらの雑音に晒され続けている。

外に出れば、見知らぬ人の会話、広告、音楽が休むことなく耳に入ってくる。

人間は「属している」と感じることが大事な生き物なので、もちろん「社会」や「コミュニティ」の一員であると感じることは、健康でいるために欠かせない。

長期間、孤立したり、孤独を感じている人は、喫煙者と同じくらい健康に良くないという研究もある。

一方で、雑音だらけの中にいると、自分を見失ったり、ものすごい疲れを感じることはないだろうか。

しっかりと「自分軸」や「自分の価値観」を持っていても、気づいたら、望んでもいない方向に流されいる場合もある。

「ニュースは5分だけ」「SNSは10分だけ」と決めていても、関心のあるトピックや、かわいい動物の動画を見ていたら、あっという間に30分過ぎていることもある。

仕事に集中したいからスリープモードにしているのに、集中力が途切れたり、気分転換をしたいと思うと、目の前にあるアドレナリン・ボックスに手を伸ばし、「急ぎの連絡が入っているかも」とLINEやメールを確認してしまう。

こんな風に、私たちのマインドは無意識レベルで、常に雑音を探していて、雑音がない方が落ち着かないという人もいるかもしれない。

そうなると、私たちは完全に「雑音」にコントロールされている、と言わざるを得ない。

だから、私は、朝と夜に「沈黙の時間」を作るようにしている。

3. メディテーションは「日常」に不可欠なもの

この半年間、国内外の友人たちと会うと、必ずと言っていいほど「ネパールでの体験はどうだった?行く前と行った後で変わったことはある?」と聞かれる。

過去記事にも書いた通り、私の10日間の体験は「人生観が変わる」ようなものではなく、どちらかといえば、自分の価値観や自分自身を再認識した感じだった。

だから「変わったことあるかな?」と考えた結果、ひとつ浮かんだ。

それは、メディテーションがエッセンシャルなもの、つまり必要不可欠なものになった、ということ。

10年以上前から、マインドフルネス的なメディテーションは時々やっていたけど、継続的にはやっていなかった。

練習し始めた頃は、毎日やっていたけど、気づけば半年以上やっていない時期もあった。

そんな「ときどきメディテーター」だった私が、今では、少なくとも1日1回は「やりたい」し、その必要性を感じるようになった。

7月までは毎朝30分〜1時間、そして夕方または寝る前に30分〜1時間と、1日2回やるのがルーティーンになっていた。

8月以降は仕事が忙しくなり、朝はほとんど出来なくなったけど、夜のメディテーションは継続している。

そして、雑音や雑念が増えたり、仕事が忙しくて脳がフル回転している時こそ、メディテーションしたくなる、ということに気づいた。

例えるなら、水分補給のような感じ。

人間は喉が渇いたら「水飲みたい!」と思うし、熱中症や、脱水症状を避けるためには、「こまめな水分補給」が必要。

私にとってメディテーションは、まさにその感覚。

仕事が忙しかったり、ストレスを感じる出来事があると「メディテーションしたい」と思う。

そして、「したい」と思わなくても、必要性を感じなくても、喉が渇く前に水分補給するように、意識して時間を作ることが大事なのではないかと、この半年間で思うようになった。

特に高い集中力と結果を求められる仕事をしていると、交感神経が常に優位になる。それが8時間(場合によっては12時間)続くのは、おそらく健康的ではないので。

日常的にメディテーションを行うことで、「脱水症状」を防ぐことができるような気がする。

そして何よりも、メディテーションをした後は、脳(マインド)がクリアになるのが、一番のメリットだと私は思う。

自分にとって何が大切か、そうでないかが明確になる。

睡眠同様、脳に蓄積された不要な情報・イベント・考えがどんどん消えていく。

私はもともと嫌なことは寝たら忘れるタイプで、昔から「いつも楽しそうでいいね!」「悩みとかないでしょ?」と言われてきた人間なので、説得力に欠けるかもしれないけど。

メディテーションは、忙しい人、悩みがある人こそ、効果を感じやすいと思う。

興味がない人に勧めるつもりは全くないけど、もし少しでもメディテーションに興味があるなら、Vipassanaやマインドフルネスの本を読んだり、試してみる価値はあると思う。

バックナンバー

※ブログ記事に関する質問・感想はコメント欄にお願いします
※当サイトのコンテンツは全て私個人の体験・意見です
※当サイトの画像・文章・コンテンツ内容の無断使用・改変・転載・出版を禁じます
※引用は当ページへのリンクを貼っていただければご連絡は不要です
※サイトの運営費用を賄うためアフィリエイトリンク(広告)を掲載しています

この記事を書いた人

自然と芸術を愛する旅人。2015年より世界各地で家を借りながら暮らすデジタルノマド。40ヶ国。

FOLLOW ME

スポンサーリンク
Column
スポンサーリンク
スポンサーリンク

Comment

テキストのコピーはできません。