こんにちは!フルタイムトラベラー、三谷めぐみ (@meg_intheworld)です。
先日、友人からこんな話を聞きました。
私もヘアドネしようと思って髪の毛を伸ばしていたけど、職場の人に「偽善者」と言われちゃって・・。否定できなかった自分もいるし、ヘアドネするのやめようかなと思ってるんだ。。
うつむきながら話す友人にかける言葉を探しながら、面と向かってそんなことを言うオトナがいる事に驚きました。
残念ながら「ヘアドネは偽善」「ヘアドネなんか意味無い」「他人の髪の毛を使ったウィッグなんて気持ち悪い」と思う人も少なくないようで・・・。
そこで、彼女のように「ヘアドネに興味はあるけど、迷っている人」に、ヘアドネの体験談を交えながら私の考えを書くことにしました。少しでも参考になれば幸いです。
ヘアドネは「偽善」なのか?
ヘアドネは「偽善」なのか。
ヘアドネする人は「偽善者」なのか。
「偽善」とは、「偽り」で「見せかけ」という意味ですよね。
ヘアドネする本人が「ヘアドネしたら「いい人」って思われそうだから、ヘアドネでもしよっかな」と思っていたら、それは「偽善」と言えるかもしれません。
しかし、ほとんどの人は「いい人に見られたいから」ヘアドネーションをするわけではない、と私は思います。
なぜなら、31cm以上の髪の毛を伸ばすには時間がかかるから。
私の場合、約40cm伸ばすのに2-3年かかります。
「周りからいい人に見られたい」という理由だけで、真夏の湿気が多い時期に、毎日ドライヤーで長〜い髪の毛を15〜20分かけて乾かせますか?
乾燥する秋冬は髪が傷まないよう、毎日お手入れできますか?
私は無理です。「いい人に見られる」ことが目的だったら。
「いい人に見られたい」だけなら、ヘアドネじゃなくてもいいはず。できることは他にもあるので。
ヘアドネは「したいから、する」で良い
そもそも。ヘアドネーションする人は、2つのパターンがあると思います。
①もともと髪の毛が長くて、ヘアドネをする人
②ヘアドネをするために、髪の毛を伸ばしている人
私はどちらも経験しています。
はじめてヘアドネした時は①でした。
海外ノマド生活を始めて半年ほど経った頃。
ノマドになってから自分の好きなことばかりやっていて、ボランティア活動や寄付が全然できていないな・・。
と気付いたのです。
もともと髪は長かったのですが、旅先でも伸ばし続け、日本に帰国した時に40cmのヘアドネをしました。
それが1回目。
2回目と3回目は、ヘアドネをするために髪の毛を伸ばしました。
3回やってみて思うのは
「もともと長い髪の毛をヘアドネをする」にしても、「ヘアドネをするために髪の毛を伸ばす」にしても、「自分がしたいから、した」ということです。
正直に言うと、はじめてのヘアドネは、ずっと伸ばしてきた(一緒に世界を旅してきた)髪を切るのに、少し勇気がいりました。
そして、切る前は「ウィッグを待っている子供たちの役に立てたらいいな」と、少なからず思っていました。
ところが。
美容師さんが私の髪にハサミを入れ、ヘアドネ用に40cmカットしてくれた時に「あ。これは、私がしたいからしているんだ。」と気付いたのです。
「誰かのために」だなんて、押し付けがましいな、と。
ヘアドネは「誰かのため」ではなく、「自分がしたいから、する」で良いんじゃないでしょうか。
ヘアドネは意味ない?気持ち悪い?
「ヘアドネは偽善」「ヘアドネは意味ない」「髪の毛を寄付するとか気持ち悪い」と言っている人たちがいることを知って、思い出したことがあります。
2011年に「東日本大震災」のボランティア活動をしていた時のことです。
当時、私は会社員でした。
金曜日は定時退社をして、一旦自宅に戻りシャワーを浴びて、夜行バスで東北へ。土日にボランティア活動をして日曜日の夜に東京に戻ってくる。ということを月に1〜2回していました。
このことは家族と親友以外には言っていなかったし、言うつもりもなかったのですが。
月曜日のランチで「みんな週末何してた〜?」という何気ない会話の時に、嘘をつくのも嫌だなと思い「東北行ってました」と言いました。
どうやらそれが、他の人にも伝わったらしく。
ミーティングが始まる前に、ある男性の先輩からこう言われました。
「聞いたよ!東北にボランティアしに行ってるんだって?それも1人で。何?出会い求めてんの?(笑)そうじゃなきゃ、わざわざお金使って、週末を犠牲にして、そんなことしないでしょ〜(笑)」
この先輩はちょっと変わっているけど、根は悪い人ではない(と思う)ので、この発言にも悪意は感じませんでした。
「そんな発想するの〇〇さんだけですよ(笑)」と返したら、先輩は「え〜!そうかな〜?だってそんなの何の得にもならないじゃない(笑)意味あんの?」と言うのです。笑
もう、考え方や価値観が違いすぎて、笑ってしまったのですが。
その先輩は、本気でそう思っているようでした。
この時の会話は「世の中には、本当にいろんな人がいるなぁ」と感じた例のひとつ。
だから。もし誰かに
「ヘアドネなんて偽善でしょ」
「人工のウィッグがあるんだし、ヘアドネなんか意味ないよ」
「人毛のウィッグなんか気持ち悪い」
と言われても、落ち込まないでください。
それは「その人」の価値観だから。
肯定も否定もせず「この人はそう思うんだな」と受け止めればOK。
その上で「自分はどう思うのか、どうしたいのか」を考えれば良いのではないでしょうか。
私は、もし他人から「ヘアドネなんか偽善」だと言われたとしても、ウィッグを待っている子が1人でもいるなら、自分にできることを続けます。
「ウィッグなんかいらないよ」という世界になるまで。
ヘアドネが「特別なこと」でなくなるために
最後に。
日本でヘアドネーション活動を最初に始めたJHD&Cの代表、渡辺さんのコメントをシェアさせていただきます。
髪の毛のない人たちに対して「髪の毛っていいでしょ」「毛があるって素晴らしいですよね」というようなことを少しずつ、無意識のうちに強要している面は否定しきれないと思う。
「結局、ウィッグを着けるしかないかな」というのが「生きづらさ」の原因になると思う。本来、誰がどんな髪型をしようが自由なはずだ。髪の毛があるかないとかに関わらず、みんなが生きやすい世の中になるべきだ。
(引用元:「当事者が辛いのは髪の毛がないことそれ自体だけではない」「ヘアドネーションだけでは解決しない」…善意と協力の本質を考えて)
これは、本当にその通りだなと思いました。
芸能人が「ヘアドネをした」というだけでニュース記事になるのは、「特別なこと」をしたという認識が未だにあるから。
おそらくヘアドネをした本人よりも、周りが「ヘアドネを特別視」しているから記事になるのでしょうけど。
先にも書いた通り、ヘアドネをする本人は「したくて、している」だけだと思うので、そこに「特別視」は不要なんじゃないかな、と。
ヘアドネをすることは別に「すごい」ことでもないし。
それよりも。
ウィッグを「つける」「つけない」を自由に選べる世界にするには、どうしたら良いかを、ヘアドネする人もしない人も、それぞれ考えることが大切だと思います。
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