ブラジルで日本の「ダイバーシティ」について考える【ブラジル生活】

ブラジルでダイバーシティについて考える(c)Megumi Mitani Brazil
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こんにちは!フルタイムトラベラー、三谷めぐみ (@meg_intheworld)です。

現在地:ブラジル🇧🇷サンパウロ

サンパウロの中心地であるパウリスタ通りは、週末になると歩行者天国になる。

毎週のようにイベントが行われているパウリスタには、色んな人が集まってくる。

ある日、大勢の人が楽しそうに歌ったり踊ったりしている様子を見て

これぞ「Diversity」だ!

と思った。

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ダイバーシティって?

Diversity in Brazil(c)Megumi Mitani

Diversity(ダイバーシティ)とは、直訳すると「多様性」「様々に異なる」という意味。

私がこの言葉を知ったのは、2014年の年始頃。

転職エージェントのリクルーターから「外資系会社のデジタル・マーケティングのポジションが空くけど興味あるか?」と連絡がきた。

「大手企業で条件も良いから、まずはJob description(職務記述書)を読んで検討して欲しい」と、メールを受け取った。

社名は知っているけれど、これまでいた音楽業界やIT関連とは異なる業界で、特に興味のある分野でもなかった。

「それでも一応」と思い、会社概要と業務内容が書かれたファイルを開くと、企業理念の中に「Diversity&Inclusion」という言葉があった。

今でこそ聞くようになった「ダイバーシティ」という言葉も、当時は日本語で検索しても単語の意味くらいしか出てこなかった。

「Diversity&Inclusion」を英語で調べてみると「Diversity(多様性)をInclusion(受け入れ)して、個々の得意な分野や能力を活かす」ということだった。

「THE 日本企業」に欠けているもの

tokyo-life (c)Megumi Mitani

その当時働いていた会社は、社内公用語は英語で外国人スタッフも3割ほどいた。

それこそ「Diversity&Inclusion」が必要なはずなのに、社風は「THE 日本企業」だった。

仕事さえきちんとやっていれば誰も何も言わない、比較的自由な音楽業界から来た私にとっては「超」がつくほどの体育会系で縦社会。

「上の言ったことは絶対」「部下は常に上司の顔色伺っている」のは当たり前。

社内で目を疑うような場面を目撃したり、驚くような話も耳にした。

 

ある金曜日の夕方。

仕事が終わったので帰ろうとしたら、当時の上司が私を含むチームメンバーにこう言った。

「仕事が早いのは良いことだけど、定時に帰られるのは困る。他のチームは遅くまで残業しているのにうちのチームだけ早く帰ると目立つから。来週から少なくとも20時までは残業して。なんでも良いから。最悪、座ってるだけでもいいから。」

社会人を10年やってきて、初めて「理解不能な残業」を頼まれた。

音楽業界にいた頃は、深夜タクシーや始発で帰宅、土日出勤をすることもあったけど、それは「仕事」があったから。

学生のバイト時代ですら、仕事がないのに「周りに合わせるため」に残業したことも、頼まれたことも一度もない。

この時、新卒入社の外国人スタッフが「日本企業文化」に馴染めず、優秀な人ほど1〜2年で辞めていく理由が分かった気がした。そして、日本人社員の休職者が多い理由も。

それと同時に、もし次に転職するなら「Diversity&Inclusion」文化がある会社がいいな、と思った。結局、転職することなくフリーランスになったけど。

「THE 日本人」が世界に出て気づいたこと

日本人の両親の元、日本で生まれ育った典型的な「THE 日本人」である私が、世界28ヶ国を旅し、日本以外の国で暮らして気づいたことがある。

それは、日本がいかに小さな国で「homogeneity(同質的)」かということ。

「個人」よりも「組織」や「グループ」としての意見が重要視され、「平均的」で「周りと同じ」である事が良しとされる日本。

飛び抜けて頭が良かったり、身体能力が高かったり、人と違う事をやって成功していたり、外見が美しかったり。

平均的な人よりも優れた「ナニカ」を持ってる人は目立つ。

大勢の平均的な人から尊敬されたり一目置かれる一方、時に妬まれたりもする。

逆も然り。平均的な人が簡単に出来ることができない、見た目が劣る、というだけで、残念ながら、いじめの対象になってしまう人もいる。

「平均的な自分達」とは「違う」という理由で。

誰もが居心地がいいダイバーシティな国

ブラジルでダイバーシティについて考える(c)Megumi Mitani

では、日本の外ではどうだろう?

おそらく、どの国であろうと「尊敬される」人が「嫉妬される」こともあるだろうし、「いじめ」もあるだろう。

それでも日本ほど「同類」や「周りと同じ」が大切で、「個性」を「異物」として扱う国は、先進国の中では少ないのではないだろうか。

アメリカ、そして今滞在しているブラジルのサンパウロような街にいると特にそう感じる。

移民国家のアメリカの場合、様々なルーツの人がいるのが当たり前。

地域によってイギリス系、フランス系、ドイツ系の白人が多く住むエリア、アフリカ系、ヒスパニック系、アジア系、インド系の有色人種が多く住むエリアというのはあるにしても。

ニューヨークやロサンゼルスのような大都市であればあるほど、人種もバックグラウンドも違う様々な「個」が集まって暮らしている。

見た目も文化も宗教観も、人によっては第一言語も違う人が集まる「ダイバーシティ」な国では、「インクルージョン」な姿勢がないと楽しく暮らせないし、機能しない。

パウリスタ通り(c)Megumi Mitani

そして今いるサンパウロは、ニューヨークやロンドンよりもダイバーシティな雰囲気がある。

肌や目の色、髪質、体型、ファッション、文化、食事、母国語、出身地も違う人達が一緒に暮らしているのはアメリカも同じだけど、サンパウロはより人種が混ざり合っている。

そして、みんな楽しそうに見える。

サンパウロに長年住んでいる方々にインタビューした時も「貧富の差はあるけど、人種差別はない」と言っていた。

私自身この2ヶ月間、ポルトガル語が話せなくて相手を困らせてしまった事はあるものの、見た目が日本人だからという理由で嫌な扱いをされたことはない。

サンパウロには世界最大の日本人コミュニティがあり、日系ブラジル人のおかげで親日家も多いというのもあると思うけど。

お店やカフェに入って、ポルトガル語で声をかけられた時に「ポルトガル語は少ししか話せません」と言うと、多くの人が笑顔で「あぁ〜そう。英語?」と聞いてくれる。

英語を話せない人は、英語を話すスタッフを呼んでくれる。

フランスのように「フランス語も話せないの?」という視線を浴びることはまずない。笑

ブラジルでは「英語が話せる=教養がある」という認識らしく、偶然居合わせたお客さんが喜んで英語で通訳してくれることもあるくらい。

ブラジル人、優しい。

こんな風に見た目やバックグラウンドが違っても、お互いの「個」を尊重し受け入れ暮らしているから、サンパウロの人々は楽しそうに見えるのかもしれない。

日本がダイバーシティになる日

日本がブラジルやアメリカのようなダイバーシティになる日は来るのだろうか?

この10年で海外からの訪問者や定住者も増えているようだけど、まだまだ日本は世界に対して「オープン」ではないように感じる。

かつて鎖国をしていた日本という国で、多様な文化を取り入れ共存していくのは簡単ではないかもしれないけれど。

ダイバーシティ&インクルージョンは、「多様な「個」を理解し、受け入れ尊重する」ただそれだけ。

私たちが世界の人々に対しオープンになることで、行き詰まりを見せつつある日本経済の突破口が見つかるかもしれないし、何より新しい文化を学ぶのは楽しいと思いませんか?

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この記事を書いた人

自然と芸術を愛する旅人。世界各地で家を借りながら暮らす「デジタルノマド」9年目。40ヶ国。

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